揺らぐ常識
今も、そう対して変わっていないのかもしれないけれど、自分の視野は狭いなと感じるし、それ故なのか常識って何だろうと思うことが最近度々起こります。
【そもそも常識とは?】
常識は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。
また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
対義語は非常識。
社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。
新しく入社したスタッフが、院長の好意でスタッフ全員が使わせてもらっているものを大量に使っている事案が発生。
つい先日、『常識の範囲内でお願いします』と先輩から話したばかり。
古株な私達スタッフからしたら、極端な言い方をすると、それは『非常識』に当たる訳で、全員がそう思ったから、一度その事案を全員で共有して笑
これは常識の範囲を超えてんなという話になり、後輩に指導をして貰いました。
私の職場は、ブラックなところもありつつも、何だかんだでスタッフの息が長い。
私は産休育休の期間はあったものの、国家資格を取得してから15年以上、ずっとこの職場にいます。
そういうスタッフが他にも何人かいるので、本当に長い付き合いだと思います。
この長い期間、小人数の狭い濃度も濃い職場の中で形成されていく『常識』。
家族もそれに似ていると思います。
なので『常識』のニュアンスって、個人でかなり違ってきますよね。
【見えない隔たり】
スタッフ間でも、もちろん違いはあります。
家庭環境にもよるかな?
独身、既婚、子持ち…
小さい職場なので、規定というよりも、院長の采配によるものが結構大きいのですが、結婚・出産をしてもうちで働いて欲しいと話してくれていたので、私はかなり良い待遇で働かせて貰っているとは個人的には思うのです。
だけど、それをやっかまれたりもします。
『同じ正社員の立場なのに…』と言われたり。
そういう意識の違いを埋める日は、永遠に来ないのかもしれないですね。
【アップデート必須】
子供の頃は、血の気の多いところもあり、自分に対して謎の無敵感みたいなものを感じていて、自分の常識が総て、という風に思うところがありました。
小学校から中学校、高校、専門学校を経て、社会人になり、結婚して子供が生まれて…
その時々で出会う人々やイベントなどを経験して、少しずつ自分の中での常識は形を変えてきました。
学生時代は色々な友人やその家庭環境、社会人になってからは社会人としてであったり、本当に不特定多数の人と接する仕事柄、様々な話を聞いたり経験出来たと思います。
中心柱のように、自分の実家での常識を軸に据えつつ、色々アップデートされてきたと思います。
その中で、多分自分は周りに恵まれて来たことは本当に有り難いし、子供も出来たらそう思える様な人生を歩んで貰えたらと嬉しいですね。
【Twitterは偉大】
そこに追加して、Twitterを始めたこともかなり大きいかもしれないです。
情報収集に役立つのは勿論のこと、自分では知り得なかった病気であったり、それ故の日頃の困難なことであったり、色々な価値観があることが分かるからです。
特に、子育てが始まってからは育児独自の孤独みたいなものが共有出来たりしたのは大きかった。
ただ、怖い部分も沢山ありますけどね、Twitter。
自分の中でのいわゆる『常識』とか『ネットリテラシー』が確立してからの方が良いんじゃないかなと個人的には思います。
なので、成人前後に始めるくらいが良いのかな?
この考えは古いんですかね…
【共感しづらい】
子育てにおいても、家庭や個人で価値観というか常識は違いますよね。
最近、それも少し考えさせられました。
毎日の子供の状況のチェックや、学校行事への参加などなど。
それがなくても、おそらく子供は生きて行ける。
かなり、フリーダムに見える友人に対して、自分は過干渉なのかな?と思いました。
『常識』の枠にハマり過ぎるのはつまらんなぁと個人的には思っている部分もあるのに。
その辺りはまだまだ模索が必要だと思います。
こう書いていても、やはり常識って何だろうと思います。
押し付けるのも違うし、難しいなぁ。